富山の防災について考える ~立山が守ってくれる?自助・共助・公助~
この度の豪雨により被災された方にお見舞い申し上げます。犠牲者が1人も出ませんように。
富山に住んでいると、「災害」や「被災者」という言葉は、自分とは関係のない世界に感じる人が多いようです。なぜか、「立山が守ってくれている」からです。他県の方からすると、「なにそれ…」って思われるでしょうが、実際本気で思っています。地震も台風も立山があるから富山平野は影響が少ない。「でも、富山って雪が多くて大変じゃない?」と言われますが、立山に降る雪のおかげで水が豊富で海にも田んぼにも色々な恵みをもたらしてくれます。さすがに令和3年の豪雪は驚きましたが。
私は、富山で甚大な災害が起こるとしたら、水害だと思っています。そしてこれは、今日明日にも起こりうるものです。本日令和4年8月4日は、昨日からの大雨の影響で東北新潟を中心に最上川などが氾濫し、NHKではずっと災害情報が流れています。今現在、富山でも雷がゴロゴロとなり、不穏な空気が流れています。
守ってくれているのは「立山砂防」~立山砂防女性サロンの会~
地理的なものとして、「立山が守ってくれる」はあながち間違いじゃないかもしれませんが、守ってくれているのは立山だけではありません。富山県は面積(間口的にも)が小さい割に1級河川が5本あり、私が住んでいる富山平野は常願寺川と神通川に挟まれています。また、そのすべてが3,000m級の北アルプスから一気に富山湾に流れ込むため非常に急流で、特に常願寺川は延長56Kmと世界的にも屈指の急流河川で、「川ではなく滝!」と形容されています。しかも、俗にいう「天井川」なため、いったん氾濫がおこると被害が甚大になります。
そのため、古来より砂防工事が行われ、その起源は佐々成正が1580年に佐々堤を築いたことです。その後廃藩置県で越中国が石川県に編入されましたが、道路整備を主に考える石川県と治水に重点を置く富山側との意見が合わず、富山側が分県運動をおこし富山県を勝ち取った歴史もあります。 (参照:国土交通省 常願寺川 富山県 富山県誕生の歴史)
縁あって「立山砂防女性サロンの会」の会員になっています。実際何の活動もできていないのですが、まずは「知る」ことからだと思い、参加させてもらっています。立山カルデラ視察に行きたくて入会したのですが、天候に恵まれず今年も日程が合わず残念です。立山カルデラは1858年に起こった飛越地震(M7.0)で鳶山が崩れたため大量の土砂が流れ込み、カルデラ内の立山温泉が土石流にて倒壊、大量の土石流が天然ダムとなりその後決壊したため富山平野を直撃し、大きな被害がもたらされました。この様子は 立山砂防博物館 で見ることができます。
富山は災害が少ないのではなく、先人たちと今も働き続けている方々により「災害を未然に防いでいる」のです。これを忘れてはいけません。しかし、昨日の東北の雨や近年の様子をみると、経験したことのない・想定外の降水量になっています。富山だけが安全だと、のんびりしていてはいけない状況です。
自分の住んでいる地域のハザードマップ確認
天気予報を見るため自分のスマホに「NHK ニュース・防災」アプリを入れているのですが、数日前から洪水と土砂崩れのハザードマップが表示されるようになりました。自分の住んでいる地域のハザードマップは、市広報と一緒に配布されましたが、このアプリですと旅行先でも自分のいる場所の危険度がわかるため、入れておくと役に立つと思います。
配布されたハザードマップ(洪水2006年作成)、これは知人が市や県に掛け合って作ってもらったものです。小学校での読み聞かせボランティア仲間のSさんは御年83歳なのですが、毎年子どもたちに防災の話をしてくださいます。電力関係のお仕事をされていて、初めて富山に来た時には常願寺川と神通川を見て天井川の様子に「危ない!」と驚いたそうです。富山では都市伝説のように「常願寺川が氾濫したら大和の屋上まで水没する」と言われていますが、実際常願寺川と大和間は高低差が48m有り、万一のことがあれば大きな被害が予想されます。
数年前に聞いたSさんの話で強く心に残っているのは、「1時間に100ミリの雨で、マンホールのふたが持ち上がって大変危険」ということです。その時は、100ミリの雨などめったなことでは降らないと思っていましたが、今日のニュースでは山形と新潟で150ミリを超えたと言っていて、その量に驚いています。マンホールのふたが持ち上がって外れ、その上を汚水が川のように流れていると穴に気付かず落ちてしまう可能性があります。落ちたら終わりです…また、水深が膝上を越えると大人でも歩くことが困難になります。土砂災害の危険がない地域では、無理に避難所へ行くよりは自宅の2階以上に避難する方が安全な場合があります。
富山県広域防災センター 四季防災館 では、雪崩・強風・流水・風雨・火災・地震など様々な災害が体験できます。個人やグループで気軽に参加できますが、体験は予約で確認した方がいいと思います。
私が住んでいるところを確認すると、おそらく自宅の2階にいれば大丈夫です。
自助・共助・公助
「天災は忘れたころにやってくる」というように、万一はいつ起こるかわかりません。備えが必要とわかっていても、つい先延ばしにしがち。特に富山県民は忘れるどころかそもそもの経験がありません。地震にしても震度3で大騒ぎです。なので、大地震や洪水に対する備えや覚悟は他県民に比べて低いと思われます。被災した場合、自助・共助・公助と言われますが、どういうことか確認していきます。
自助 事前の準備が大切
【自助】自分の身は自分で守る。被災して自宅で避難している際、まずは自力で生活できるよう普段から準備しておく。富山の場合、家屋は豪雪に耐えるようにしっかりした作りになっています。浸水地域でない場合、洪水の際も、危険な中避難場所へ行くよりも自宅の2階以上に避難した方がよさそうです。
① 地震に備え日頃より家具を固定しておく ② 避難の仕方や身の守り方を確認しておく ③ しばらく外に出られないことを仮定して、家族の人数×3日分の食料・飲料水・生活必需品を用意しておく ④ 家族間での連絡方法を確認しておく などです。 (参照: 政府広報オンライン より)
我が家を振り返ってみましょう。① そこそこ。完全ではありません。寝室は、それぞれが自分で責任をもって安全を確保する。 ② まだまだ。地震の場合と洪水の場合と火災などの場合とそれぞれ違うので、また、自分がいる場所にもよるし、日頃から気にかけていないといざというときに動けないと思います。 ③ ほどほど。台所には乾麺やらレトルトやら缶詰やら普段食べるものがたくさんありますが、1階が水没した場合使えません。ペットボトルの水とカセットガス用のストーブは一応2階に置いてありますが、十分とは言えません。我が家はオール電化住宅なので、停電にも備えなければならないのですが。 ④ まあまあ。被災地同士ではつながりにくいということなので、災害発生後は他都県にいる親族に連絡を取ることにしています。
心配なのは、猫2匹です。誰かが家にいる場合は、猫を2階の天井部の屋根裏収納庫に置いてある檻に入れることにしています。ただでさえビビりの猫ズ、大人しく捕まえられるとは思いませんが、逃げ出すのが怖いので何としてもここに入れたいと思います。トイレとエサと水を入れると猫の居場所がなさそうですが…
共助 地域の力で地域を守るために
【共助(互助)】地域で自主防災組織を作り、住んでいる人同士が助け合う。防災訓練などで防災意識を高めます。普段からご近所付き合いをしたり、地域ボランティアで顔見知りになったりが大きな力になると思います。
私が住んでいる校区は、以前より社会福祉活動などが活発な地域でしたが、3年前に若いお母さんが立ち上げた「子ども食堂」がきっかけで、とても地域力のあるところになりました。私も子ども食堂の調理担当で参加し、たくさんの方と出会えました。歳も性別も職業も関係なく、自分のできることを出し惜しみせずに活動する仲間がいるということは、大変刺激になり、楽しくてしょうがない。子ども食堂は校区の地区センター(地区公民館)の調理室やホールを使用させてもらっていますが、富山県内ではここだけだそうで。許可を出していただいた関係各所には感謝しています。
なので、万一のことがあった時も、地域のみんなで力を合わせて乗り切っていけると信じています。被災した時、子どもが1人で不安の中避難所に来た時、「子ども食堂で見たことがあるおばちゃんやおじちゃんがいる!」と少しでも安心してくれればいいなと思います。
公助 避難所の運営を助けられるように
【公助】市町村や消防、県や警察、自衛隊といった公的機関による救助・援助。地区の小学校などに避難所が設けられます。(参照: 総務省消防庁 より)
今年2月に「災害ボランティア・支援者養成講座」を受講しました。内容は、講義の内容は、NPO法人にいがた災害ボランティアネットワーク理事長の李仁鉄さんによる「新型コロナウイルス感染症が災害支援にもたらした変化」でした。避難所の設営や災害ボランティアの受け入れには、いろいろな仕事があり、誰でも自分にできることがあるかもと思うことが第一歩です。ただ、コロナのせいで今までできていたことがすんなりと行かない場合もあり、工夫が必要です。
避難所を設営運営するのは公的機関ですが、被害が広範囲にわたった場合、人員配置に限界があります。その時、地域の民生委員などが被災者個人に合わせた細やかな対応ができることもあり、共助が生かされます。声をかけるときっと「何かお手伝いします」という方が、たくさん出てくると思います。
8月と9月に行われる「令和4年度 災害救援ボランティアコーディネーター・リーダー養成研修会」にも参加を予定しています。
令和元年 長野豪雨災害ボランティア
2019年11月に、夫と一緒に台風19号による長野豪雨(9月12日~13日)の被災地に初めてボランティアに行きました。アラ還の私たちに何ができるのかわかりませんでしたが、とりあえず行ってみようと。災害から日数が経っていたのと、被害が小さかった地域へ行ったので実際の被害を目の当たりにしたわけではありませんが、床上浸水した家屋の床下清掃に参加しました。その際のボランティアセンターの様子も少し記憶にあります。
コロナ前だったので、ボランティアの募集を知ってから行くのに躊躇はありませんでした。集合場所の駐車場でまず、被害の大きかった地区へ行くか、小さかった地区へ行くか分かれます。ボランティアセンターでは、被災者のしてもらいたいことにより、その作業につく希望者を募ります。私たちは比較的軽い作業の「床下清掃」を選びました。同じ所へ行くグループで、ボランティア自身の自家用車に分乗して現地に行きます。私たちは、若い男性とともに、地元の男性の車に乗せてもらいました。
作業中はボランティアリーダーの指揮のもと、代わる代わる作業をしました。危険な作業はありませんが、床下に入るのは、ちょっと体勢的にきつかったです。初めての災害ボランティアは、初めて知ることが多くて勉強になりました。作業もそうですが、寄り添いも必要になることがあるかもしれません。
思えば、阪神淡路大震災が起こった日、生後3か月の息子と寝ていて、「ちょっと揺れたかな?」と思っていたら、あの大災害。被災者の中に乳飲み子を抱えたお母さんがいて、「ミルクもお湯もない、母乳も出ない」と言っているのを聞いて、母乳育児をしていた私は、「分けてあげられたらいいのに!」と歯がゆく思いました。また、東日本大震災の時は、放射能汚染がネックになってボランティアに行けず。(5年後(2016年)と8年後(2019年)に民生委員の研修旅行で南三陸に行き、津波の様子を知りました。南三陸には、先に書いた立山砂防女性サロンの会でも研修旅行があるので、いつかまた参加できると思います。)
これから私にできることは何か
今、近隣で災害があった場合、私に何ができるか。力仕事はキツイし。でも、2月の研修で聞いたように、ボランティアセンターの「駐車場の誘導」「名簿の入力」や、長野で見た「ボランティアの受付」「軽食の準備」などはできそうです。コロナ禍ということで、動きにくいこともあるでしょうが、工夫次第ではできることも増えるでしょう。地域力で活動するためのきっかけになれば良いと、「覚える」は無理でも「知る」「考える」ことはできます。自分ができること、何かあるはず。
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